洗濯物を畳んだ。

食器も洗った。

子どもの準備もした。

自分なりに考えて動いた。

なのに妻から、

「それ、そこじゃない」

「今それやるんじゃなくて、こっちやってほしかった」

「それだと結局やり直しになる」

なんて言われる。

すると、こう思う。

「良かれと思ってやったのに。じゃあもうやらない。」

分かる。

せっかく動いたのに否定されたように感じたら、そりゃ腹も立つ。

「ありがとうくらい言ってくれてもいいだろ」と思うことだってある。

でもな。

「ズレた」と「やらない」は別の話だ

お前が良かれと思って動いたこと自体が、全部ダメだったわけじゃない。

ただ、夫婦で見えていたものが違っただけかもしれない。

たとえば、子どもを風呂に入れた。

お前は「風呂をやった」と思っている。

妻はそのあとに、身体を拭く、保湿する、オムツを履かせる、パジャマを着せる、髪を乾かすところまで見ている。

そこで「風呂やったよ」と言われたら、

「いや、まだ半分なんだけど」

となることもある。

どっちかが悪い、というより、仕事の終わりをどこだと思っていたかが違う。

だから必要なのは、

「もうやらない」

じゃない。

「どこが違った?」だ。

妻のやり方を全部コピーしろ、でもない

ここも勘違いしないでほしい。

妻がやっている方法が、家庭の絶対的な正解とは限らない。

パパにはパパのやり方があっていい。

子どもが安全で、家族が困らず、最後まで回るなら、細かいやり方まで同じである必要はない。

逆に妻側も、夫が自分と違うやり方をしただけで全部やり直していたら、いつまでも任せられない。

だから夫婦で合わせたいのは、

「やり方」より「何を終わった状態にするか」。

ここだと思う。

「もうやらない」は、結局誰かに返る

一度怒られた。

だから料理はしない。

洗濯物の畳み方を注意された。

だから洗濯は触らない。

子どもの服を間違えた。

だから準備は妻に任せる。

それを続けたらどうなるか。

お前が傷つかなくなる代わりに、その仕事はまた妻へ戻る。

そして妻から見れば、

「一回伝えたら、担当ごと消えた」

になる。

それは、もったいない。

一回やったんだろ。

だったら、その経験を捨てるな。

ママだって、最初から全部できたわけじゃない

子どもの着替えも、離乳食も、保育園の準備も、寝かしつけも。

最初から全部知っていたわけじゃない。

調べて、やって、失敗して、覚えてきたこともある。

パパだって同じでいい。

一回ズレたなら、一回分経験値が増えたと思えばいい。

次はそこを変える。

また違ったら、また一つ変える。

その繰り返しで、

「妻に聞かないとできない」から「俺に任せて」に変わっていく。

ただし、言い方まで我慢しろとは言わない

もし毎回きつく責められる。

何をしても否定される。

人格まで傷つけられる。

そんな状態なら、「俺が我慢してもっと頑張ればいい」で終わらせなくていい。

落ち着いているときに、言い方や役割そのものを夫婦で話した方がいい。

このサイトで言いたいのは、

パパだけが全部飲み込めという話じゃない。

夫婦のズレを、家庭から降りる理由にしないでほしいということだ。

今日やることは、一個でいい

次に、

「せっかくやったのに」

と思ったら、そのあとに続く

「じゃあもうやらない」

を一回止めろ。

代わりに聞け。

「どこが違った?次はどうしたらいい?」

全部直さなくていい。

次の一回で、一個だけ変えればいい。

良かれと思って動けたなら、もう最初の一歩は出てる。

そこで引き返すな。次は、少しだけ合わせろ。